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別冊企画:「弟子の心得」弟子道その1 まねびと高座百編

師弟関係ってどんな関係? 師弟関係とは、いわゆる仕事関係でいう 上司/部下、経営者/従業員のような関係とはまた違うもの。 職人の世界や芸の世界において、継承するという目的での関係性でしょうか。 その関係性においては、なんというのか理不尽なこともあったりするのですが。 近頃は、なかなかそういった関係性では社会に向かない方向になってきているようですね。 師弟関係って上下のようであって、実は上下ではないと私は思っています。 師匠は師匠としての仕事をする。 そして、弟子は弟子としての仕事をします。 役目を果たすという意味では対等と私は捉えていました。 それは、職場でも同じかもしれませんね。 そして、師匠と弟子の関係は、書面で残せないような、そしてこれから将来もきっとAIが真似できないような技があるんだとしたら、それを出し惜しみせず、すべてを伝え尽くすのが師匠の仕事。 そしてそれを余すとこなく受け取り、同じようにまた次の世代に伝えられるほどになるのが弟子の仕事とも言えると思います。 お金でいえば「お給料」はもらいません。 もちろん交通費も出ません。 師匠の稼ぎは、師匠の稼ぎ。自分の稼ぎは自分の稼ぎということになります。 それは、自分自身で生きていけるようになるための関係です。

[su_note note_color="#fffaf0" text_color="#333333" radius="3" class=""]「職人」の美学Life Heart Message 2019.02.25 職業には、さまざまな知恵が連なっている。人が生き、家族を支え、子孫に受け継いでいくためには、長い体験のなかで培ったものが芯にある。手仕事の職人には、紙一枚を重ねるようにして、蓄えてきた知恵があり、業があった。製品、道具、作業場、修業法には、一人の生涯ではすまぬだけの、試行錯誤の結果が結晶化されていた。数え上げたら幾千もの記憶や、感覚や、道具や素材に関する知恵と技が含まれていた。 そのすべてが、ひとつの職業が消えることで、なくなってしまうのだ。自分の指先が習得した感覚を、弟子に伝えるためには従弟制度があった。修業は厳しく、長く、不条理なことも含まれていたが、目と指が記憶するまでには、気の遠くなるような反復が必要だった。そこには教科書も言葉も不要だった。素直になり、師を信じ、失敗を繰り返しながら、体に刻んでいく道である。そこには人間を育て上げる場所でもあった。学校とは違って、知識を習得するだけの場所ではなく、一生を生きていくための、技を習得するところであったのだ。 師弟の間にも、先輩後輩の間にも同業者の中にも、守らねばならぬ礼があり、尽くさねばならぬ誠があった。実践だけが教育の方法であり、失敗こそが教科書であった。二度三度の同じ失敗には、体罰を伴う制裁が加えられることもあった。弟子が失敗した物は、先輩や親方が身を削って補うしかなかったからだ。それが仕事の重みであった。それを身をもって知るのである。技も、勘も、感覚も、努力なくして手にできなかった。自らの体に記憶させるのが、手の仕事である。 人間は考え、悲しみ、喜ぶ精神と訓練することで精緻で極限まで力を発揮する生命を持っていた。物づくりは、やりがいや歓びを手に入れていた。バーチャルには肉体は伴わない。人の心を揺るがす力はない。効率第一主義がもたらしたものは、心の荒廃だった。熟練した職人たちの仕事ぶりは美しい。リズムがあり、なんと真摯な姿に感動する。表現豊かで、作業に歓びを見つけている。細道に迷い込んだ現代社会に、手仕事に生きる人たちの姿は「その道は不毛だ」と警鐘を鳴らしているようだ。 ゲーテは言った。「すべての職人が私には最も幸福な人間に思われる。彼のなし得ることはきまっている。人が自分に求めることに思い煩うことをしない。彼は考えることなく、無理せず急がず、しかも熱心と愛とをもって、鳥やミツバチが巣を作るように働く。彼は鳥獣の上にあることただ一段に過ぎないが、しかもひとりの全き人間だ。旋盤のかたわらにいる陶工、かんな台の後ろにいる指物師を、私はどんなふうにうらやむことだろう」「日々刻々養い育てて行くのは、あらゆる感情の中でこの上なく幸福なものである」「喜んで事をなし、なされた事を喜ぶ人は、幸福である」と…… 未来創庵 庵主 一色 宏[/su_note]
 

師弟関係の歴史

ちょっとしたお話をご紹介しますね。 私が弟子入りしてから2ヶ月後くらいに、今はお亡くなりなった小林正観さんのセミナーで、偶然にもこのお話がありました。 たぶん、セミナーのお題は、全然違っていたと思います。 ただ、私はこのお話のおかげで、師弟関係について明確に意識することができたのだと思っています。 そのときのお話を思い出しながら書きますね。 そして、私はこの話を聞いて、自分が一番弟子になろう!と決めたのです。 「一番弟子とは、弟子の中でもっとも人間力があり慕われている人のこと」 イエスキリストは、どうして何千年とたって、この世に残っているのか。それは、もちろん教えが素晴らしいということがあるのかもしれない。 そこに至る前に、素晴らしい弟子との出会いがある。 当時、民衆にとても慕われていたヨハネが「この人、イエスキリストだ!」と、彼を慕った。 そうしたら、ヨハネを慕っていた民衆は、全員、イエスキリストを慕うことになった。 お釈迦さんは、5人の学友がいたと。 それぞれの学友が弟子をとっていたのだけれども、その学友がみんな「お釈迦さんがすごい。」ということで、彼を慕うことになった。 というお話があります。 私は、まず弟子として、自分を磨き、人間力をあげ、人に慕われる必要があるんだなー。 世に名を残した偉人たちは、皆素晴らしい弟子がいた。という事実。 師匠の名に恥じないよう、弟子として生きてみよう。 人に慕われる=自分の周りにたくさんの人が集まってくれる。 こう解釈して、私は、「一番弟子への道」をあゆむのです。

オリジナルなんていらない

師匠には、学びではなく「まねび」ということを教えてもらった。 まねびは、「学び」+「まねる」の造語。 自分らしく、自分はこうしたい。 この方がいい。 弟子というのは、師匠は遠くはなれた存在のようで、 実は、いつも近くにいるので、 「こっちの方が、いいんじゃないか?」とか「こうしたらもっといいんじゃないか?」 とかおこがましくも、アイディアが沸くというか、そういうこと思ったりするんですよ。 こういうのを一切排除し、 まずは、無になり、学びきる。 学びきるということは、何かというと、まったくの真似をするということです。 「師匠をかぶる」という表現をしました。 師匠が乗り移ったかのように、身振り手振り、話し方、口調。 そして、一言一句。まるでモノマネです。 まずは、徹底的にそれができるようになる。 モノマネとは言いますが、 これが結構大変です。 ただ、この修行は、いくつもの学びがあります。 今思えば、もちろん腕を磨くことも出来ました。 そして、結果として得たものは「素直さ」かもしれません。 一度自分をはずして、素直に人の言うことを聞いてみる。 言う通りにしてみる。 これが、できそうで意外にできないんです。 そう、人といっても自分の師匠でもです。 師匠なのに言うことに素直になれない。 いや、師匠だからかもしれない。 ただただ、真似をする。 ポイントは、徹底的に真似をする。 なんか真似をするって、なんとなく「ぱくる」みたいで、あんまりいい言葉ではないように思われがちだけど、そんなことない。 「まずは、徹底的に真似てみる。」これが大事。
[su_note note_color="#fffaf0" text_color="#333333" radius="3" class=""]この頃「TTP」という言葉を聞きます。徹底的にパクるんだそうです。あまりよい言葉ではないと感じます。なぜそう感じるのかといえば、それは師弟関係がある上ではいいのです。が、そうでなかったらとっても乱暴に思うのです。相手側が不快になると思いませんか? 実はその前にとっても大切なことがあって「MMP」(エムエムピー)これは、相手が何を大事にしているのか、本質は何か。言っていないけれども中に隠れているものは何か。などそのことをしっかり守って守ってパクる。ということ。そうじゃないと、「あ」が「あ」で伝わらないのです。違うものになってしまうのです。だから大事にして守るというまずは気持ち、心得が大事ですね。そして、からTTPです。徹底的にパクってください。 そして、最後は「AKP」(エーケーピー)。これを忘れてはなりませんよ。 Aはありがとう。Kは感謝。です。ありがとう感謝でパクる。です。こういうのをすっぽかしてTTPでは何もパクることもできていませんよね。その心得をお忘れなくお願いしたいものです。[/su_note]
  余談:いつのときか、「お師匠さんもあいちゃんと同じこと言うてはりましたよ。」って言われました。 これってわかります?ほんとは逆なんですけどね。まねびの結果としましょう。

高座百編(こうざひゃっぺん)

さきほどの「まねび」。 口伝(くでん)ともいうのかな。 落語では「高座百編」という言葉があります。(三遊亭京楽師匠に教えていただきました。) 落語というのは高座百編といって、 人前で100回演じたものでないと、お金をとってはいけないという言い伝えがあるそうです。 それは、100回演じて、お客様の反応を察しながら、言葉を変え、言葉を削り、表現が磨かれ、 話が研ぎすまされるということです。 無駄な言葉がひとつもない。 そうして、残ってきたものが古典落語として、作品として世に残り続けるんだそうです。 実は、師匠からも「落語を聴け」と言われていました。 その理由(この高座百編のお話)は、後で知ることになります。 ちなみに、私が飛び込んだ世界は、”伝える”ことが仕事です。 (講座、講演、研修などをしてお伝えする仕事です。) かつては、師匠に1000回、まずは人前にたって話せ。と言われ、とにかく回数にこだわり、 たぶん3年目で講座、講演、研修でほぼ1000回の達成しました。 どんな場所でも、どんなに短くても、 お願いされたらいやがらずに、一席(?)させてもらいましたね。 鍛えられました。 芸人の域だな。完全に。 [su_note note_color="#fffaf0" text_color="#333333" radius="3" class=""]今の私はダメです。 「ちょっと歩いてみてよ」「ちょっとなんかやってよ!」そうちょっと頼まれたらイラっとするくらいですから。そして、人見知りなんで。といって誤魔化して逃れようとする。私も、偉くなったもんですねー。それじゃダメじゃんね。「頼まれごとは試されごと。」別に出し惜しみする必要なんてないのです。反省し最近は心を入れ替えました。能楽師の友人、小林晋也氏はいつでもどこでも、酒の席でもお願いしたら一席やってくれます。周りの方が喜びます。そして彼をみてプロの姿は本来こうだと尊敬しています。 一時期ね、フリーランスという人たちの間で無料で頼んでくる人をどう思うかというのが話題になったことがあるんです。けれど、そんなんにこだわっている時点でまだまだダメだし。頼まれる時点で頼まれるレベルということなんです。普通の人間なら、悪いなとかありがたいとかごめんやけどちょっとやってもらえないか。というお話になるはずなのですから。[/su_note] ”伝える”という仕事、 私は伝えるという役目だと思っています。 よりお客様に伝えたいことを伝わるように伝えるということです。 なにか言いたいんではない。 主張したいんではない。 「伝える」というお役目だと思っています。 なので、表現や言葉を磨く必要があって。 そのために、徹底的に「まねぶ」過程で、腕を磨いていきました。   次を読む →こちら

「弟子の心得」目次

・弟子道 その1「まねびと高座百編」 ・弟子道 その2「信じることで見えてくる世界が変わる」 ・弟子道 その3「変なロープレで自分の能力を引き出す」]]>

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